ホロコーストについて初めて知ったのは恐らく学生の時に「シンドラーのリスト」を見たときだと思う。まあ、その時に初めてユダヤ人の存在をも知ったと思う。そもそも、ホロコーストとはギリシャ語で「全部焼く」という意味で、ナチス政権のホロコーストによって殺害されたユダヤ人人数は一般的に600万人と言われている。ナチス党は最終的にユダヤ人絶滅を計画していたそうです。そもそも、ナチスがユダヤ人を殺害し始めた理由の一つに多くのユダヤ人がドイツ(ヨーロッパ)でビジネスに成功して多くのお金を儲けていたことから、ヒットラー自身”Jews take all the gold and silver, and they leave us all the trash.”(ユダヤ人は金銀をとっても、私たちに何も残さない。)ようなことを言っていたそうです。(正確に学んだ訳ではないので詳しいことは調べて下さい。)博物館には細かい資料や実際の生き残りの人々の映像インタヴューなどあって、4時間くらい色々読んでいたけど、途中で余りの酷さに心が痛くなって最後の最後まではいられなかったけど。。。イスラエルに行く人は、ここに行かなければ行けないところだと思う。(カメラ持ち込み禁止だったので、ホロコースト博物館の写真はありません。)
(余り良い写真じゃないけど、エルサレムで一番好きな場所。オリーブ山からだと旧市街が一望できる。)
エルサレムを遂に離れることを決断した。それにあたって、もう一度旧市街をゆっくり歩いてみた。そして、再びイエスが十字架に掛けられ、一度葬られた墓(現教会)に行ってみた。ボーっと座っていたら、ユダヤ人のお爺さんに声をかけられた。良い機会だと思って、疑問に思っていたことを聞いて見ようと思ったけど、その疑問に思ったことが全て政治と宗教にかかわることだったので、ちょっとためらった。何故なら、ここイスラエル(特にエルサレム)では、多くの人が強い信仰をもっているので、やたらに変なことを聞けない。特にこのユダヤ人のお爺さんは生まれも、育ちもエルサレムと言うのだから、かなり色な変化をここで見てきたのだろうな。。。まあ、まずは嘆きの壁で祈っている政党派のユダヤ人はやっぱり神殿の再建と救い主が来ることを祈っているのですか?と聞いたら、「そういう祈りをしている人もいるけど、多くは国の平和と生活の為だよ。」え!?そうなんですか??(まあ、一人のユダヤ人に聞いただけだから、全てがそうとは限らないけど、この回答には少しビックリ!)続いて、長い間エルサレムに住んでいて、1948年のイスラエル建国を体験してるんだから、それなりに街も変化してきてるんですか?と聞いたら、「城壁もそのままだし。。。」え?そうなの?「現在の城壁は約500年前から変わってないよ。」し、知らなかった。。。もっと多くのことを聞きたかったけど、お爺さんは寒くなったので帰ってしまった。。。
(イエスが一度葬られた墓はいつの時代も多くの観光客+巡礼者+祭司で大混雑)
その後、もう一度嘆きの壁に行ってみたら、こんな看板を発見!英語だけど、是非読んでみて下さい。やっぱり神殿再建の為に祈ってんじゃないの?そして、城壁の周りをもう一度回って。調べたところ、やはりこの壁は1538年に建造されて、長さ4.5km、高さ5〜15m、厚さ3m。改めて凄さを実感した。しかも、驚くことにまだエルサレムに神殿が存在した時代(66AD)は現在の城壁の倍の445エーカー(1エーカー=約1224坪)大きさがあったそうです。と言うと東京ドームの何倍でしょうか??(誰か計算して教えて下さい?)とりあえず、とても広いです!
(イスラエル博物館にある当時の神殿の様子。ミニチュアなのに巨大。素材も当時のものを使用)
(下の方に再建の為にユダヤ人は祈っているとはっきり書いてあるし!)
(城壁の一部)
他にも知りたいこと、聞きたいこと、行きたい所もあるけど、明日エルサレムを離れることにしました。でも、後数日イスラレルを満喫してまたヨルダンに戻ります。ホント早く南米に飛ばないと時期が過ぎてしまう〜でも、中東があまりにも面白いので離れられないよ〜〜(食事はあまり美味しくないけど)。
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